2009年11月21日

なん

なんなん?
 
何なの?
 
難かぁ。
 
キャラメルボックス等によるプロデュース公演「MINERVA WORKS #1 『Live, Love, Drive. 死神の精度』」の感想。
 
プロデュース公演って、プロデュースサイドが様々な「何?」に明確な軸をもってやらないと「難」しいのだなぁと実感。究極的には、「何がしたいのか?」ってことになろうか。
 
 
まぁ、そもそも。
 
誰が誰なのかも知らずに(もともと「○○という役者を観にいこう」という習慣も気持ちも無いし興味もない。あくまでその場で「表現される作品」とそれを「演じきる一役者」を観るのが好きだ)見ていたワケだが、贔屓目を差し引いても、中村哲人の細かい演技だけが救いだった。
 
そして、竹重洋平という才能溢れる人間に脚本を書かせておきながら、結果的に伊坂幸太郎に阿ることになってしまっているプロデュースサイドの根性の無さが垣間見えた。予め伊坂が用意した「枠」を越えていないな…ひょっとして、あろうことか越えようともしていないのか? …これを伊坂が観たら愕然とするのではないか?
 
正直な感想。
 
何故こんな結果になっているのか事の真相を知る由もないが、もし仮に…だとしたら…。
 
原作に(そして、こともあろうか、原作者なるものに)阿るぐらいなら、鼻っからその原作なぞ使わねば良いと思う。
原作者なるものも原作を弄られたくないのであれば鼻っから原作使用許諾なぞしなければ良い。
原作とは、権利としての固有名の原作者の所有物としてのみ存在するだけだ。
一旦原作者なる執筆者の手から言葉が紡がれた段階で、その作品は執筆者から遠く離れひとり歩きするものだ。
執筆者は原作者という名の暴力装置を作品に付してノサばらせてはいけない。
その作品を原作として使用する側はその暴力装置に服従してはならない。
文学論とか演劇論とか何とかヤヤコシイ話は知らぬが、少なくともそれ以前の原理原則だ。
 
竹重&中村の「弾丸サムライ」の闘いは千秋楽まで続く。
 
 
posted by toku at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | toku_diary
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